地下鉄が延長される福岡で昔の筑肥線の跡を自転車でたどる
2022年に福岡の地下鉄3号線の線路が伸びます。
福岡は東京と違って、電車の路線は発展していません。
地下鉄は3路線だけあり、それぞれはどこかでつながっています。
一番新しい3号線は七隈線と呼ばれ、橋本駅から天神南駅まで約12kmを走っています。
この路線が、櫛田神社駅、博多駅と2駅伸びることが決まっています。
新しい路線考えるときに、1983(昭和58)年で廃線になった筑肥線を思わずには入れません。
約40年前に廃線になった筑肥線ですが、現在でもその名残を福岡市内で見ることができるのです。
この「筑肥線をたどる旅」は歩きでは約12kmと距離がありすぎるし、自動車では見逃してしまうほど静かな名残なのです。
筑肥線の名残を見て回るのならば自転車が最適です。
距離はあるのですが、スピードは必要ないので、ミニベロでも見て回ることができます。
橋のデザイン
旧筑肥線の路線上にある橋には機関車を模したデザインや車輪を模したデザインが施されています。
これは自動車では完全に見逃してしまいます。
自転車で走るからこそ見つけられる名残と言えます。
橋はいくつかあり「那珂川筑肥橋」は機関車のデザイン、「室見川筑肥橋」、「樋井川筑肥橋」は車輪のデザインです。
線路の土地が公園に
六本松から小笹のあたりにある「梅光園緑道」、美野島にある「美野島緑道」はそれぞれ筑肥線だった土地をそのまま公園にしています。
この中は徒歩か、自転車でないと見て回ることができません。
ぜひ、自転車で走ってみてください。
梅光園緑道では、トンネルの様なモニュメントがあったりしてその名残を感じることができます。
また、梅光園緑道内の植栽には枕木が使われていたり、旧国鉄の境界石が未だに見れたりします。
線路だったところが道路になっている
線路だったところの一部は道路になっています。
そのため、2車線だった線路が道路になって3車線になっていることがあります。
妙に車間距離が狭い道だと思っていたら、無理やり3車線にした道があるのです。
自転車で、少し離れた場所から見ることで、高さを無理やり調整したのを見ることができるのです。
駅だったところが公園に
旧小笹駅は現在では公園になっています。
そうと知らないと全く分かりませんが、妙な形の道路があるので、元はここが駅だったと知ると納得できます。
この旧小笹駅は北側に福岡市動植物園があり、現在も営業中です。
南側には小笹商店街があり、こちらも営業中です。
小笹商店街も見て回ると新旧の店があるので楽しめると思います。
スロープ下に機関車の煙の跡
橋によっては筑肥線の廃線よりも前にかけられたスロープがあります。
筑肥線は蒸気機関車も走っていたので、煙を出して走っていることもありました。
その煤は、スロープの下側に残っていたのです。
ただ、残念ながら近年の改装で現在では煤は確認できませんでした。
ただ、明らかにきれいになっているので、それも名残と言ってしまえば名残かもしれません。
これも自転車でなければ見つけることは難しいでしょう。
現在では福岡に住んでいる人でも知らない人もいるくらいレアスポットと言えます。
駅を模した緑道
博多駅近くには、美野島緑道があります。
ここには駅のホームを模したモニュメントが現在も残っています。
しかも、約1.2kmの遊歩道になっているので、歩いてみるのもいいですし、自転車で通ることもできますので、筑肥線の名残を探しながら走ってみるのも楽しいと思います。
観光としても楽しめる旧筑肥線
旧筑肥線の路線を走っていると、梅光園緑道付近の六本松では色々なグルメを楽しむことができます。
近年の再開発で新しいおしゃれな店もできています。
一度自転車を駐輪場に停めて見て回るのがいいでしょう。
六本松は駐輪場がすごく整備されているので、停めやすいでしょう。
自動車は駐車場が万年的に不足しているので、ゆっくり停めて見て回るという感じにはならないと思います。
この六本松には旧筑肥線が走っていたころからの店もまだ残っているので、探してみるのも面白いです。
西新商店街
長い西新商店街は昔から学生街です。
安くておいしいお店も多いですし、しっかり見て回ったら1日過ごせるほどです。
少しごみごみしたところもあるので、誰でも福岡の下町らしいところに触れることができる重要なポイントと言えます。
サザエさんの原作者、長谷川町子さんが疎開中にサザエさんを思いついたという海岸もこのすぐ近くです。
色々なモニュメントもあるので、自転車で見て回ると新しい発見があるでしょう。
筑肥線が廃線になった理由
自転車で旧筑肥線の線路だった道を走っていると気づくのですが、実に43か所が道路と交差していました。
約40年前に福岡の街を再開発する際に、この43か所のいくつかが渋滞の原因となっていました。
立体交差を作るのも一つの手段だったのでしょうが、43か所と言うのは数が多すぎたのだと思われます。
実際、利用者は少なくなかったので、老朽化と渋滞対策を含めた対策のために廃線になったと考えられます。
約40年経過して、新しい地下鉄の路線と旧筑肥線の路線を自転車で走って確かめると鉄道ファンでなくてもわくわくしてしまいます。
ぜひトライしてみてください。